言語と国際社会 [言語観を知る]
インターナショナライゼーションの時代の到来に向けて、人間の言語・言語活動についての理解を深め、国語を共有することによって全ての人々が、人類家族に属することを説く。(Amazonより抜粋)
人間の言語や言語活動について、またそれらが文化や国際社会においてどのような役割を果たしているかについて書いてあります。
言語学をベースにして書いてありますが、一つだけ納得できなかったところを。著者は、国際社会という場を定義づけるものは、差別しない心あるいは文化の差別を作らない場でなければならない、そして諸民族の平等な交流権が支配する場でなければならないという理由で、英語を国際社会の言語とすることに反対し、代わりにエスペラント語の使用を提案しています。
しかし、言語習得を「コミュニケーションの道具の使い方を学ぶ」と限定してしまっていいのでしょうか。言葉の習得には時間がかかります。英語に限定すれば、英語圏の文化や歴史や芸術などにも興味を持たなければ、そのモチベーションを保つことは難しいのではないでしょうか。全ての人に同じだけの苦労を求めるのではなく、必要なのは、例えば先日も書いたように、ネイティブがノンネイティブの英語に慣れることや、英語の良し悪しで人を判断しないことではないでしょうか。
私も、英語のつたなさが原因で、話している相手がいらいらしているのを感じることがよくあります。ちょっと話しただけで私と話すのはやめて隣の人に話しかける人もたくさんいます。その対処法としては、なるべく気にしないようにし、そういう反応を示す人はなるべくかかわらないことだと思っています。そういう態度を取る人と付き合う必要はないと思うからです。
大学では、英語が出来ないこともあって理解できないことも多く、「関わりたくない」とばかり言っていられないこともあります。とはいえ、やっぱり質問しやすい人、逆にしにくい人がいます。今期のアシスタントの中で、いつも辛抱強く私に説明してくれる人が一人いるのですが、その人には本当に自分の気が済むまで質問することができました。こういう人は非常にめずらしいので先日お礼を言ったのですが、
僕より君の方がいらいらしているはずだろう。自分の言いたい事が中々伝わらなくて。僕は英語しかできないからね。でも外国語で学ぶことが大変なのは分かるよ。英語ネイティブにだって難しいんだから。だから全然問題ないから。
と言われました。実に当たり前の考えなのでしょうが、こんな風に言われることはあまりないので非常にうれしかったのを覚えています。
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