国際化時代の日本語 [言語観を知る]
日本語は不運な言語か、山本有三の「ふりがな廃止論」と佐藤俊子の反論、日本語の将来、国内外の日本語教育などのテーマから、国際化時代の日本語について考察する。(Amazonより抜粋)
不運な言語って何ですか?
2000年に書かれた本ですが、ここでも日本語不要論についてふれていました。この本では日本語を捨てよう!とは書いてなかったのですが。そもそも、自国の言葉を自ら捨てようとする考え方は非常に理解に苦しみます。
英語の難しさをカタカナのせいにする人もよく見かけますが、他の言語をそのまま取り入れて自分の言語の発音体系に変更して使うことは別に日本語に限ったことではありません。「和製英語」が通じないと言うなら、それだけをやめるような動きになっていけばいいだけで、カタカナ全般を否定する必要はないと思っています。
私自身は、一般的に日本語で事足りる場面でカタカナを織り交ぜて話すのははずかしい事だと思うので、この土地で日本語を話すときだってなるべく使わないようにしていますが、カタカナのせいで自分の英語がだめだなぁと思った事は一度もありません。それ以前の問題だって思った事はいっぱいありましたけどね。
カタカナがあるから日本人は発音が下手なんじゃなくて、英語の発音の基礎をきちんと習った事がなく、英語を使った事もほとんどないから下手なだけ。だいたい、発音が似ている言語を話す人はともかく、言語初心者はだいたいアクセントが強いですし、そもそも、カタカナのおかげで新たに覚える必要のない単語も多いって事を忘れちゃいけないと思います。
日本人は話す練習をしていないから、読めても話せなくて、発音が下手なだけなのだと思います。私は3つの外国語の中では、会話の練習をほとんどした事がないフランス語はバリバリの日本語訛り、英語はさすがに慣れてきたので訛も減ってきましたがまだまだ、そして最初に発音をがっつり習った中国語の発音はけっこうきれいだって言われます。
この本ではオーストラリアの外国語教育についても述べていましたが、他の国から来た人達の話などを聞いていると、外国語教育に試行錯誤を繰り返しているのは日本だけではないことがよく分かります。複数の公用語を持つ国の言語教育も国によって異なるため、第二公用語が満足に使えない人もたくさんいます。
だから、第2言語の習得を英語の習得についてのみ考えるのではなくて、外国人による日本語の習得など、色々な角度から考え、試していくことも、言語教育全体にとっては必要な事ではないでしょうか。
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